最終回
日本がコロナの脅威にさらされ、緊急事態宣言が発令される中、このブログを書き始めた。最初はトシちゃんに照準を当てるつもりなど全くなく、寧ろその他の自分の専門分野についての見解で文章を書こうと思ってこのブログを開設したのに、結局、トシちゃんについて書く場所になっていた。
トシちゃんのことは大好きだけど、思うこともあり、もう、これで終わりにしようと思う。
今回のブログで最終回にさせていただくことにした。
アカウント変えて、またはてなブログさんでお世話になるかもしれないが、多分トシちゃんのことは書かないと思うので。
というわけで、最後に感じていることを述べて、このブログを終了する。
トシちゃんの凄いところは、いまだにそのステージ、パフォーマンスを魅せて、ファンに復活させたり、ファンに新たにさせてしまうことだ。
テレビに出てメドレーを披露するたびに、LIVEやイベントを行うたびに、新たに復活したファンを生み出している。ファンクラブの会員数もLIVEの動員数も40周年を迎える今になっても右肩あがりである。
この事実、どれだけの人が知っていることだろうか。
ジャニーズのタレントなどの話題は、くだらないことでもすぐに記事になったりニュースで取り扱ったりするのに、トシちゃんについては何人かの方が記事にしてくれることはあっても、イマイチ大きな取り扱いにならないまま、終わってしまうことが多いような気がする。
唯一語られるのは、トシちゃん本人がゲストでその場にいる時だけだったりする。
だけど、本当は、本人がその場にいなくても、話題になるようにならないと意味がないのだ。
残念ながら、現時点において、トシちゃんのポジションはやはりそれほど大きな力を持っていないと言える。それはトシちゃんに原因があるというより、芸能界という世界の仕組みの問題でもあると思うから、責めるつもりはない。
寧ろ、凄いと思っている。トシちゃんはあのジャニーズが最も力を持っていく過程で、間違いなくその大きな煽りをもっとも喰らった人物のひとりであると思うわけで、よくぞここまで、厳しい環境の中を生き抜いてきたと心から思う。
心が折れることなく、不貞腐れてしまうことなく、道を見失うことなく。
ただ、その功績やここに至るまでのことを分かっている人間からすると、今の状態はお世辞にも満足できるものではないのだ。
そんなこと言ったって・・と言われるかもしれないが、これが本音だ。
あれだけのステージを魅せることが出来るその現実を、もっと大勢の人に分からせる努力がまだまだ足りないと思ってしまうのは罰当たりなことなのだろうか。
本気でその人のことを思うからこそ、もっとこうなって欲しいと思うし、もっとこうなればいいのにと妄想で思い描いてしまうが、なかなかトシちゃんについては、それが現実になっていかないというジレンマの中、苦しい思いをさせられている。
あれだけの人気とあれだけの結果を残した人なのに・・・・という思いがどうしても拭えないのだ。
このままで終わっていい人では絶対にないと思っている。
その凄さを分かってくれる人は確実に増えていることも実感している。だけど、この状態で満足でいいという人ではないと私は思うのだ。だって、こんなもんじゃないだろ、田原俊彦はと思うから。
でも、果たしてそのために何をしないといけないのか、その戦略を考えられている人がトシちゃんのブレーンに何人いるのか、それがいつも心配なのだ。
本人の感覚で物事を決めると言っても、どうしても人間には偏りが生じるし、それが客観的に見て違和感あっても、だれにも何も言われないとそれでいいと思いこんでしまうものだ。
的確なアドバイスをトシちゃんに与えられる人がそばにいるのだろうか。
口うるさく言ってくれる人を面倒だからと排除しているようなことはないだろうか。
周りをイエスマンで囲まれることほど、危険なことはないということを、どこまで分かっているだろうか。
これからのことを考える時、どうしてもトシちゃんを支える体制について、このままでいいのかと思ってしまうことがあるのだ。
トシちゃんにとって心地いい環境であることが最善ではないと言う場合もあるかもしれない。
つまり、もう一度テレビに積極的に出るために、移籍とまではいかなくとも、大手と業務提携するなどの考えは全くないのだろうか。
レーベルがメジャーになったことも、もっとうまく活用できないだろうか。
トシちゃんは、自分に力があればといつも言うが、力はあってもそれをうまく使える場所が提供されないと、力があることを証明することができないではないか。
一部のファンが見に行くライブを継続することはもちろん素晴らしい事だが、こんなに凄い事をやっているんだぞ、田原俊彦はということを示す手段としては、やはりメディアの力は必要だと思うし、テレビが無理なら、それをネットの世界に求めてでも示す必要があるのではないのか。
時間には限りがある。
あと何年、今のハイレベルのパフォーマンスを魅せることが出来るのか。
コロナのせいで、今年どころか、来年もステージはどうなるか分からない中、貴重な時間だけが失われていく危機感を抱いているのは私だけなのだろうか。
そんなことを突き詰めて考えると、どんどんネガティブになっていってしまうのだ。
思い通りになるとは思っていない。
だけど、一部で盛り上がって終わりということをこれ以上繰り返す余裕はないと思う。もちろんこれは私個人の意見であるが。
最後はもう少し前向きに終わりたかったとも思うのだが・・・
不満をぶちまけるだけぶちまけて終わりかよと思う方もいるかもしれないが・・・
もしご期待に沿えないようなら申し訳ないけど、誰かのためにこの文章を書いているわけではないので。
最後に、私はトシちゃんファンにも奮起を促したい。
トシちゃんファンの多くは、どうして自分から何も発信しない人が多いのだろう?
こんなに素晴らしいコメントが書けるのであれば、ぜひご自身の文章でブログなりなんなり開設していただきたいと思う人もいる。
トシちゃんについて発信してくれる人がもっともっと増えてもらいたいと願っている。
誰かの文章に乗っかるのではなく、自分の言葉でトシちゃんの素晴らしさを発信できる人が増えれば増えるほど、影響力は確実に大きくなると思っている。
そう言いながら、私はやめてしまうので、偉そうなことは言えないけど。
ハッキリ言って、しんどい。一銭にもならなことを続けることは、かなり強い信念とエネルギーがないとできないことだ。
だが、少ない人数の人に寄り掛かるのではなく、各自が自分のツールで表現してくれたら、それは頑張っている人の負担を減らすことに繋がる。
そして、時には、前向きなダメだしもしてあげられることも一つの愛情。だから称賛だけではなく、ダメな点や改善すべきことも辛口で告げてあげられること、そして、そういうことに寛容な環境になっていってくれること・・・こういうことを自由にできることが正しい応援なのだと思っている。
そう言いながら、退散するというのだから情けないが・・・・私以外の誰かがしっかりと引き継いでくれると信じている。
短い間だったけど、私の想いを読んでくださった皆様、ありがとうございました。
またどこかでお会いできる日があれば、どうぞよろしくお願いいたします。
いまどき、忖度まみれな番組なんて誰が観たいと思うんだよ!
また感染者数が増えてしまい、また連日コロナ、コロナになっている。
こうなると、くだらない芸能人の不倫だのなんだのでワイドショーがが湧いていた頃が懐かしく感じるくらいだ。
PCR検査を受けた人数が多いだけ、夜の街の話、若者の話で、別に重症者とか死者の数、増えてないし・・
だからいいわけじゃないだろうに、何となく一部そんな空気を感じてしまい、不安になる。
政府なども決して軽く考えているわけじゃないと思いたいけど、GO TOキャンペーン推進しますから、皆さん、気を付けながらお出かけしてくださいね~という話になると、ちょっと待てよ!と言いたくもなる。
経済回すのは大事なのはわかるけど、政府が多額の税金使って、お出かけを促すキャンペーンをこの時期に実施するっていうのは、ハッキリ言って意味が分からない。
人数だけの問題ではないのは分かっているが・・・
根底にあるのは政府や行政TOPへの信頼感の無さか・・・意味わからない逆切れ会見していた担当大臣もいたっけなあ。
こうなると何を言われても言葉受け止める気にもなれない。
自分の身は自分で守るしかない?でも何をどうすれば守れるというのだろう。隣にいる人は無症状の感染者かもしれない。こうした思いが○○警察とか言う言葉を生んでいるではないだろうか。
そして、自分の身は・・などと言いながら、自分の行動を自分で決められない人が多い。情けない限りだけど、「不安なんだけど、○○が中止って言ってくれないから~」とか言ってる人がうんざりするくらい圧倒的。
自分の行動くらい、だれかにどうしてもらわなくても自分で決めろよと思うし、不安ならやめりゃいいだろと思う。それでも行くという決断をしたなら、不安なんだけど~とかウダウダ言わずに黙って行け!
せいぜいお気を付けてくださいませとしか言いようがないが、万が一のことがあってもそれは自分が「行く」という選択した結果なので、いかなる場合も責任が伴うと言うことをお忘れなく。誰かのせいにはできないということも。
消毒やマスク、席を離すという感染対策を何重にも施して開催された舞台でもクラスターが発生していることを考えると、何をしたから安全とは言いきれない。
エアロゾルとか言い出してるし・・
このままだと秋冬にかけて更に第三波がくるかもとか・・・
来て欲しい波はさざ波程度でなかなか来ないというのに・・来なくてもいい波は来るんだよな。
ワクチンはまだですか~???
どうせお金使うなら、意味の分からないお出かけキャンペーンに使わずに、こういうとことに税金つかってくれと思う。
さて、前置きが長くなってしまったが、トシちゃんのLIVEも越谷と厚木が一旦払い戻しの上、再販となり、先日ファンクラブ先行で申し込みが開始された。
仕方ないことだとは思うが、絶対競争率高くなってしまうだろう。
そして、客席が半数になるのであれば、興行的には赤字になってしまうのではないか。
だから・・・LIVE配信、本気で考えて欲しい。
住む場所によっては、今年のLIVEを一か所も観られない人もいるかもしれない。
そういう人たちにも今年のトシちゃんのステージを見てもらえるし、トシちゃんやスタッフの皆様の収入にもなる。
LIVEの形はコロナがおさまっても今後変わって行かざるを得ないと思っている。
残念ながら以前のような形に戻れる日はすぐにはやってこないだろう。
悔しいけど、それが現実。
そしてライブ配信にはメリットもある。上手く宣伝できたら、今までトシちゃんのステージを見る機会がなかった人がリビングから堪能できる機会にも繋がるかもしれない。
最近、地上波のテレビが悉くつまらなくて、くだらなくて、知らない人間ばかりが出てきて、苦痛に感じる。私のような人は少なからずいるのではないだろうか。
苦痛というか、腹立たしくなるのだ。
何だこのチャラチャラした芸人は・・と思っていたらジャニーズだったとか、そんなのばかり。ジャニーズってもっと選ばれしものたちだったはず。こんな石投げたら当たった程度のレベルで「俺らジャニーズなんで~」とか言ってるのを見ると、はぁ~???って言いたくなる。また大きなものに巻かれろ的な制作側、共演者の魂胆がみえみえで、その若い人が必要以上に持ち上げられたりしてるのを見ていると、吐き気を催す。
こういうものが主流のテレビの中で、本物は出づらいだろうなあ。ギャラも高いし・・・とか思ってしまうのである。
だから、最近、ほとんどテレビをつけなくなってしまった。
そんなものを見ているより、有料でもいいからLIVE配信に時間を費やしたい人も大勢いると思う。その方がよほど良質で満足する時間を過ごせるような気がする。
とは言え、やはり地上波の影響力は大きい。なぜなら、見る側に立てばハードルが低いからだ。
一番良いのは、トシちゃんのステージを地上波で見ることが出来ることであるということは変わりない。
でも、こんな記事を目にするとなんだかなあと思ってしまうわけだ。
この記事の真偽のほどは定かではないのだが、もしこれが本当ならTBSを軽蔑するとしか言いようがない。
私がこの番組のスポンサーなら、降りるな・・・というレベルである。
先日、CSで放送されたザ・ベストテンでも、黒柳🐼さんとマッチの対談とか、なぜこの放送回が選ばれたのか、誰を基準に選んでいるのかなど、ああそういうことね・・・という実態を突き付けられたような気がして、何だか盛り上がる気が失せてしまった。あまりに露骨に見せつけられると、興ざめである。
今回のこの番組について、この記事が書かれて、悲鳴が上がっている。喜びの悲鳴ではないことは明白だ。ヤフコメを見るとその反応が良く分かるが、まさに大荒れ、ネガティブコメントのオンパレードである。
ヤフコメが世の中の意見を反映しているものでもないし、中には誹謗中傷目的だけのとんでもない人もいるし普段は決して当てにはならないと思うけど、この記事に関しては世間の反応と大差ないのではないかと思っている。この記事を読んで国民の大半は嫌悪を感じるのではないだろうか。
近藤真彦がどうのと言うことを言いたいのではない。
まるで一つの番組が特定の事務所の為に存在しているかのような「忖度」まみれな番組に嫌悪感を抱かない人の方が少ないと思うからだ。
こういうことは、まだ続くのか・・・
しかし、紅白のトリの時もそうだったけど、世間が何を言おうとジャニーズ事務所様のご機嫌を損ねてはいけないということで、テレビ局は世間の希望と真逆のものを制作して公共の電波で垂れ流す。
何を言われても・・で、Twitterでボロカスに叩かれようとも、事務所様がご機嫌であればそれでいいのだから。
これだから、ダメなんだよと思う。
トシちゃんがこういう番組に普通に出られるようになったら、とても素晴らしい事だと思うし、トシちゃんなら、「やってくれる」と思う。
トシちゃんには彼独特の華やかさがあり、唯一無二のステージを魅せてくれるだけの技量がある。そして、世間は知るのだ。トシちゃんが別格であることを。
別にジャニーズが出ていてもいいじゃないか。なぜ、共演させてはいけないのか。
視聴者も、共演できないことをどこかで当たり前と受け止めているところにもまた私は憤慨を感じるのだ。
ハッキリ言って、メリットしかないではないか。
テレビ局は「よくやった」と称賛を浴びる。話題になる⇒数字に繋がる。スポンサー喜ぶ。
何より、ジャニーズ事務所にとって最大のメリットがある。
今のトシちゃんのステージを見ておくことは、ジャニーズの若い子たちにとって何よりの学びとなるはずだ。それは、申し訳ないが近藤真彦氏には見せられないものだ(ハッキリ言っておくが、これはディスっているわけではない。そう感じられるとしたら、それは読み手の思い過ごしに過ぎない)
なぜなら、田原俊彦の世界観こそがジャニーズの本流であり、59歳にしてあのステージを魅せられることに意味があるからだ。それを集団ではなく個で魅せることができるというところも大事。これがOne of themではなく、Only oneで闘って来た人のステージだというものを魅せてあげられるのはトシちゃんしかいない。
これが出来るから、トシちゃんは事務所を出て自力でも勝負してこられらのだと納得させられるだけのものを魅せてくれるはず。
それ、おそらく事務所の首脳陣もどこかでわかっているのでは?
最後にこの記事にある「生誕祭」という言葉は、亡くなった人に対して使う言葉であり、用法として誤りである。この程度の記事なので、信ぴょう性は低いのかもしれないし、炎上狙いの記事の可能性もなきにしもあらず。
できれば、トシちゃんに出ていただきたいが、しかし、もしこの記事の通りになったとしても、残念なことばかりではない。
紅白の時もそうだったが、トシちゃんに対しては不作為の評価上げとなることが予想されるからだ。
そこから巻き起こるトシちゃん待望論に、私はひそかに期待をしている。
雉も鳴かずば撃たれまい
今日から7月か・・・
しばらくこちらのブログ、すっかり放置していたら、はてなブログから「そろそろ新しい記事書きませんか?」みたいなメールが来た。
ご丁寧にこんなことかいたらいかがでしょう?みたいなテーマ付きで。
別に書いたらお金が入るわけでもないんで、好きな時に好きなこと書くために開設したんで・・・・と思いながらも何となく書いてしまったから、こういうのってそれなりに効果があるんだなと思ったりしている。
前回書いてから随分時間が経ってしまったけど、別に何があったわけでもない。ただ、書きたいと思わなかったから。
本当は6月はキャンペーン月間で、デビュー記念日もあるし、新曲の配信もあったので・・・・ってもちろん田原俊彦のことである。
このところ6月に毎年新曲を出しているトシちゃんだが、今年ももれなく6月17日に「愛は愛で愛だ」という曲を出した・・・がCDの発売そのものはコロナの影響があり、8月5日に発売延期に。6月21日に予定されていた新曲リリースパーティーも開催見合わせとなってしまった。
が、配信のほうだけは当初予定通り6月17日から開始となった。
いろいろサブスクの媒体があると思うけど、とりあえず一番メジャーなオリコンを貼っておくので、ご興味あるかたは、ここからダウンロードをぜひ。
私も普通にダウンロードしたが、このダウンロード文化への気運が田原ファンの間で高まったのはほんの数年前からだったような気がする。
ダウンロードって何?っていう年代の人たちも多くいるはずだけど、トシちゃんは今年も配信開始されると見事にダウンロード1位を獲得した。
今年はそれについて、トシちゃん1位獲得がネットニュースとなったりしたから、かなりいろいろな人が「え?トシちゃんが1位なの?」的な反応を示されていた。
ファンからすれば、1位だけど何か?・・・と言いたいところだが、最近の何にも知らない人たちは、それほどテレビで歌う機会のないトシちゃんが久々に1位を獲得と思っているみたいで、あのトシちゃんが、令和に1位?何があったんだ?的なコメントされていたりして、別に訂正する必要もないし、そのままその驚愕の様子を楽しんだ。
しかし、このネットニュース、ロクなもんじゃないといつもは思っているが、今回ばかりはありがたいなと感じた。
ジャニーズのタレントがどうしたこうしたっていう話は、長々と楽しそうにテレビで報じられていたりするが、トシちゃんが1位取ってもこの話題をテレビで報じることはないだろう。それが今のテレビだからだ。
だけどネットは違う。そして人々はネットを寧ろ見ているから、このネットニュースを見た知り合いから「トシちゃん、凄いじゃん」と話しかけられたりして、まるで自分がほめられているようないい気分になった。
しかし、なぜ今年はネットニュースになったんだろう・・・
ま、いいか。
デイリーだろうと配信と同時に1位を獲得したという事実・・・だけではなく、これが広く報じられる⇒何となく人々がこのことを知ってるという状況こそ大事。
まだまだ微風かもしれないけど、こういう変化は良い傾向だと素直に思う。
そして、私がブログを書いていない間に、ジャニーズ事務所から退所した人が会見をYOUTUBEで配信したとかなんとか・・・
それについて、彼も酷くバッシングされてたなあ。
詳細は知らないけど。
彼の会見を見て、トシちゃんを思い出すっていうツイートも目にした。
まだ何もわかってない人が沢山いるのだな。世間には。
傲慢とか勘違いとか言いながら、四半世紀前の切り取った一言でいまだに貶めることを平気で言ってる人の方がよほど傲慢で勘違いということにも、気づかずに。
しかし、ジャニーズタレントが退所する度に、トシちゃんの名前、持ち出されるのは実に迷惑だ。それぞれ、事情も状況も時代も違う訳で、比べることすらおかしいと思うのに。
だいたい、古傷抉られるようで気分悪い。しかも正しく理解してない人が大半。
いや、あれは本当はね・・・と言って回るわけにもいかないし、これが限界なのかもしれない。
あっという間にフェイク情報は拡散されてネガティブなものほど人々は簡単に記憶に定着させてしまうようだが、誤解を解き、何が真実か語りながら分かってもらうためにはとてつもない労力と時間を費やす。
それでも人は信じたいことを信じる生き物だし、間違った情報を訂正するという作業を脳に強いられることに抵抗を感じない人は圧倒的に少ない。
一旦、こういうことだとイメージが定着してしまうと、たとえ真実と異なり、作られたものであっても、それが真実として一人歩きしてしまうから怖いのだ。
しかし、個人のYoutubeチャンネルで生配信とか、ファンも擁護する手段を個人で持つことが出来る時代なのだから、トシちゃんの時代から比べれば格段に恵まれているのは間違いない。
少なくとも入ってくる情報のベクトルが一方向ではない。
その分、叩かれてる声もストレートに入ってきてしまうから、精神的苦痛は同じなのかもしれないけど。
今はしばらく耐えるしかない。心配しなくてもそのうち、波が引くように静かになる。どうせ次の叩くターゲットを見つけたら即座に人々は次の対象に移っていくのだ。
しかし、相変わらず、日本人は自分に自信があるように見せるだけでもそのことに対して嫌悪感をあらわにする民族だなあと感じた。根本は本当に何も変わってない。
そして、そういうに対しては、よってたかって傲慢、勘違いと叩く権利でもあるかのように叩きまくっているのがマジョリティーだ。
いずれにしても、みんながお利口さんではつまらないではないか。
謙虚で自分を卑下しながら、「こんなに頑張ってます」アピールを上手くできる人がもてはやされる日本社会のの中では、なかなか受け入れられないのは間違いないけど、稀に叩かれることをエネルギーにできるタイプの人もいる。
今回退所した彼も是非、こうなったからには今の状況をエネルギーに変えて自分のやりたいことを追求していってもらいたいものだ。厳しい現実が待ち構えているとは思うけど、そんなことは他人から言われるまでもなく彼自身が一番分かっていることだろうから。
言っておくが、私は田原俊彦以外の芸能人の情報については、全く興味がないので、詳細も知らないし、このことについて意見されても全く分からないのであしからず。
トシちゃんにしか関心がないし、ハッキリ言ってどうでもいいので。
ただ、追わずとも目に入ってくるネガティブはコメントを読んで、ダメに決まってるという彼のこれからについての決めつけはとても気になった。ジャニーズ出たらおしまいという認識が社会通念になっているのであれば、それは絶対に違うと思うからだ。
寧ろ勝負はこれからなのに。
ジャニーズ事務所出て、厳しい中でも自分を見失わずにやりたいことをやり続けている大先輩がいるではないか。
大きな権力にしがみついて生きていることが正解ではないことを示すためには、相当の苦労も嫌な思いもしないといけないと思うし、時間がかかると思う。でも、結局自分がどうありたいかを実践できている人が最も幸せなのであり、そう言う意味で多分田原俊彦さん自身は今の自分の置かれて状況にとても充実感を感じているのではないだろうか。
もちろん、もっとこうしてもらいたいはファンとしてあるけれど、少なくともステージに立ち続けているという事実がある。これは誰が何を言おうとも覆すことが出来ない現実だ。現在進行形で頑張っているトシちゃんの存在で、蔓延っているくだらない社会通念を吹っ飛ばしてもらいたいと思っている。これから先、テレビ局を始めとするマスコミにおけるくだらない忖度を失くしていくためにも。
話は変わるが、LIVEの開催についても公式で発表があったようで、いくつかの会場の開催は見合わせとなった。
ソーシャルディスタンスを考慮した上で開催検討という会場もあるので、今後もどういう情報が出てくるか分からない。
有料配信LIVEなども真面目に検討していく必要もあると思う。
入場できる人数を限って開催するとしても会場を貸し切りステージの準備をすることは変わりないわけで、このままでは当然赤字になる。
そうならないためにも、ネット配信はアフタ―コロナの対応として、避けられないものになるのではないだろうか。
もちろん、会場で生で見るステージに勝るものはないのは当然だが、どうやら今年は声を出してはいけない、マスク着用など様々制限もあるようだ。
今年のLIVEを全て中止として来年以降に延期したタレントもいると聞く。
いずれにしても、厳しい決断を迫られることになるとは思う。少しでもステージに関わる方々の収入になるような手段を。
そうでないと、今後の運営に支障をきたしてしまうと思うので。
LIVE以外にも、開催されるすべてのことについて、今後状況に応じて様々発表があるかもしれないし、予定通りとなるかもしれない。いずれにしても、今日のタイトルにもあるとおり、「雉も鳴かずば撃たれまい」を一人一人が心に留めていただきたいとファンの一人として思う。
個人が簡単にスマホから意見を投稿できるという便利な世の中になり、情報交換においても便利なツールを我々は手にしている。しかし、このツールは鍵をかけない限り、世界中の人にその発信を行えるということを忘れてはいけないと思う。
目を皿のようにしてネガティブな記事を書く材料を探している人にも同じく、その情報は届いてしまうということだ。
だから余計に、イベントやライブの開催についてのSNSでの発信は慎重に。
悪気はなくとも、結果、迷惑をかけてしまうということも十分考えられると思うので。
殆どの人は、その辺りを理解した上でSNSを利用していると信じているけど、中にとんでもないのがいるから心配なのだ。
空気を読まず、バカみたいに無邪気に「心配だから~」「中止にならないかなあ」などとツイートしてる人のその一言が、あ、こんなことがあるんだという情報発信となってしまうことを忘れずに。
特にこのような状況の中なので、私は「無邪気なトラブルメーカー」に対して、とても危惧している。
昨晩、夢を見た。
昨年行った地方のインストアLIVEでの握手会での夢。
トシちゃんはNHKホールでのLIVEで来ていた真っ赤なナポレオンスーツ衣装を着て、歌っていた。ステージが終わり、もうすぐ自分の握手の番というところで、目が覚めた。
夢なのにものすごく寂しくて、悲しくなった。
窓の外はどんよりとした曇り空・・・朝からブルーになってしまった。
会いたい思いは募るばかりだけど、今年は何よりみんなの健康が第一だと。
本日の東京の感染者は67人だそうだ・・・
逆風上等
前回のブログも大きな反響いただいたようだ。
あれから四半世紀と言う時間が流れていても、当時を思い出すといまだにあのとき感じた無力感と怒りがこみ上げてきて、悔しくて…悲しくて、どうにもダメだということが自分でも驚きだった。
自分の中で消化できてない感情が湧き上がってきてしまうようだ。
許すことが大事などと言う平和主義者もいるが、私には到底無理だ。それが未熟と言われても、それで結構だと思っている。
大切な人が苦しみ、傷つき、辛い思いをしている時に何もしてあげられなかったことほどつらいことはない。
逆に言えば、誰かを叩きのめし、大バッシングを浴びせると言うことは、これだけ人の心に影を落とすことなのだ。
あの時、トシちゃんだけではなく、トシちゃんを大切に思う人たちも何も悪いことをしていないのにもかかわらず、深く傷ついた。
叩きのめすのに必死で、自分が正義だと勘違いしている人間は、人を叩く快感に酔いしれ、傷ついている人に思いを馳せることが出来なくなってしまうのだろう。
これだけの人権侵害が起こったと言うことを大して問題視してないどころか、かえって面白がるような世間の風潮にも警鐘を鳴らしたい。
もちろん、本人に問題があった場合はそれなりに批判を浴びることは必然なのだと思うけど、あの会見~独立の最中の理不尽なバッシングは、明らかにマスゴミの悪意にまみれた編集と偏向報道による一般大衆の扇動であり、集団ヒステリーのような異常さだったということを改めて記しておく。
しかしながら、改めて感じさせられたことは、あの理不尽さと非情さに打ち勝ち、どんな嫌がらせにも裏切りにも圧力にも屈せず、しぶとく生き延びた田原俊彦という存在の偉大さと精神力の強さだ。
その根底にあるのは、「自分を信じる力」なのだと思う。
自分を信じる・・・多くの人が使う言葉かもしれないけど、いい時も悪い時も実践できる人は実はとても少ない。
おそらくトシちゃんには、絶対的に愛され大切に育ってきた過程で、しっかりと自己肯定感が根付いていたのだと思うのだ。
いい時はともかく、悪化し思うに任せない状況が続けば人は卑屈になるし、ネガティブになるのが普通だ。頑張ってもどうせダメだと諦めてしまったり、何とかしようと足掻いたり、誰かを責めたりしてしまう。
状況が悪い時の姿勢や態度こそ、その人の人間性を最も如実に表すのではないかと思う。
かなり昔の朝日新聞の記事を掲載させてもらう。この記事に書いてある言葉を読んで、私は自分の人を見る目の確かさを誇らしく思った。
今に見てろ、必ずひっくり返してやる。自分を信じていれば大丈夫。いつかみんな帰ってきてくれる・・・
状況が悪い時に、こう言い切れる自信と強さは、厳しい時代を生き抜く時上で最も必要な力だ。
ただ闇雲に信じているのではなく、トシちゃんには確信があったのだと思う。
もし、トシちゃんのイメージを、軽そう、へらへらしてる、チャラチャラしてる・・・そんな風に感じている人がいるとしたら、ハッキリ言って、アンタらの目は節穴だ。
実際の彼はプロフェッショナルであり、職人だ。
真のエンターテイナーとして魅せ続けるその姿は、湖面を優雅に泳ぐ白鳥が、実は水面下で休むことなく足を搔き続けているのに似ている。
血のにじむような努力やハードスケジュールの疲れを微塵も感じさせることなく、軽やかで明るく爽やかな笑顔だけを纏いながら、華麗に優雅に踊り、生で歌って魅せる。こういうことを40年やり続けてきている人なのだ。
「田原俊彦のステージは凄いらしい。」「一回、行ってみたい。」
かつて、トシちゃんの歌を酷評し、良さが分からないなどと言っていた人たちにも、そう思わせるまでになっている。
この記事にあるように、一時は確かに観客動員数に苦しんだ。会場もzepp
などのライブハウス系で東名阪の三か所だけだったりした時期もあった。
それも満席になるという状態ではなかったと思う。客席の空席がステージから目に入らない訳がない。
だけど、それで終わらないのが田原俊彦だ。
他のことには一切手を出さず、ステージで歌って踊ることに拘り、そのステージでファンを魅了し続け、離れていたファンを引き戻し、この記事の言葉通り、「必ずみんな戻ってきてくれる」を現実にした。
自分が選択し、継続してきたステージで歌って踊ることで、観客動員数を回復させ、ファンクラブの会員数を増やし続けている。
40周年という節目で全国ツアーを行い、NHKホールでのライブも完売させた。
これが彼が真のエンターテイナーであると言い切れる所以だ。
エンターテイナーとは自分の芸、特技、パフォーマンスで人を披露することで人を楽しませる人と言う意味だ。
トシちゃんはデビューした頃から一貫して「歌って踊れるエンターテイナー」になることが夢であると語っている。そしてそれを本当にやり続けている。いい時だけではなく、それこそ悪い時でもずっとだ。
テレビに出る機会も激減し、もう終わった人のように世間から揶揄され、バカにされ続け、これでもかと誹謗中傷され、普通はここまでされたらもう終わってしまうと思う。
だが、どんなに総力上げて潰そうとしても、この人は決して潰れなかった。
この人は常に前しか見てなかった。上しか見ていなかった。
自分の進む道しか見ていなかった。
他人などどうでもいい。自分がやるべきことを、自分を信じてやり続けた。
吹く風が順風だろうと、逆風だろうと、やることは変わらないという信念を貫いたことに心から敬意を表したい。
逆風の最中でも自分を信じる強さを持ち続け、「田原俊彦」を継続してくれたことには感謝しかない。
皆、多かれ少なかれ、人生の浮き沈みがある。そのふり幅が人並外れて大きかったトシちゃんの言葉には、説得力がある。
トシちゃんはいつも道を示す人だ。そういう星のもとに生まれた選ばれし人だ。
道を切り開き先頭に立って歩み、時代の象徴として向かい風に晒されながらも決して歩みを止めない人だ。
アイドル道というものがあるのだとしたら、彼こそその道の師範である。
今の時点では、彼を正当に評価できる人は限りなく少ないのかもしれない。
だが、何年も経って真実が見えて来た時、そこに揺るぎなくあるものこそが、浮き上がってくるはず。
本物は時間がかかっても必ず最後に認められると私は信じている。
いまだに分かってない人がいるので、敢えてこのことについて書いてみた
こちらのはてなブログというものをしっかり理解しないまま、書き始めてしまったが、先程、ふと自分の読者になってくださった方を確認したら、90人を超えていて、ビックリしている。
こんなブログの読者になってくださる方がいるとは、本当にありがたい限り。
今はこうしてブログ、Twitter、Facebook、インスタグラムなどなど、さまざまはものを通して自分の意見を述べることが出来る時代になった。
昨日書いた記事のように、時に悲劇をもたらし、厄介事に巻き込まれたりもするのかもしれないが、こういう時代になってしまった以上、もう元には引き返せないと思っている。
物事には必ず功罪ある。
こういうツールは、使い方を間違えれば最悪、人を殺める凶器となりうることも忘れてはいけない。
だが、逆に、物事に疑問を呈する・・・というようなこともできるようになったわけで、マスコミの報道において、過度に一方的な印象操作や、偏向報道を抑制する役割も果たせるはずなのだ。
私は時々、思うのだ。
もしあの時にSNSがあったなら、自分も、もっといろいろなことができたかもしれないなあと。
だが当時、そんな手段はなく、せいぜい自分の周囲の人に、本当はこうなんだよ、それは誤解だと言って回るのが精いっぱいだった。でも誰もが真剣に耳を傾けてくれるわけではなく、それどころか嘲笑されたり、余計に酷いことを言われたり・・・だから、いつの間にか口を閉ざしてしまった。
辛く苦い記憶である。でも忘れたことはない。あの頃に感じた理不尽や怒りを原動力にして、今の自分があると思っている。
あの時とは、1994年。トシちゃんの「ビッグ発言」なる記者会見が報じられていた時のことである。
この話題を書こうか書くまいか、もの凄く迷った。
あの時のことを思い出すのが辛いし、胸を抉られるようなたまらない思いになるから。
でも、あの時のことをよく理解しないまま、今でも面白おかしくネットなどで言及している人を目にすることがあり、いまだに傲慢、勘違いなどと言われていることに心を痛める度、こういうことは、人々が面白いと思う方向でストーリーが固まってしまうのではないかと危惧している。
だから、敢えて向き合おうと思う。
YouTubeにあるものを貼るべきかどうかも考えたけど、貼らないと具体的に分からない人もいるだろうから、貼ることにする。この会見の内容もそうだが、沢山寄せられているコメント欄の言葉も是非読んでもらいたい。
会見全体を見た人の印象が、どう変わったか、いかに多くの人が切り取った言葉の恣意的な編集により、偏向報道をいとも簡単に信じ込まされていたのか、よくわかると思う。
あの時起こった一連のことは、この記者会見が始まりではない。
この会見は寧ろ、事態がこれ以上激しくなることをおさめるため、開いたものだった。
結婚、出産・・・おめでたい話であり、今ならファックス1枚、ブログでの報告のみで終わる話だ。
ところが、この会見につめかけた記者たちの間に、お祝いするという空気はほとんどない。花束をくれたのはトシちゃんと懇意にしていた東海林のりこさんだけだった。
ここに至るまでの過程も書いておこう。
トシちゃんはただ家庭を持っただけだった。一人の女性を伴侶に選び、新婚生活を始めた・・・それだけのことだ。
それなのに夜中にチャイムを鳴らされ、24時間監視され、たまたま表に出て来た妊娠中の奥様にうるさく付き纏い「やめてください」と訴えただけで、「外に出てくるお前が悪いだろ!」と恫喝する・・・あの時マスコミがやったことを、どれだけの人が知っているだろうか。
そんな中、赤ちゃんが誕生し、子どもに何かあったらいけない、これ以上危険な目にあわせられないと家族を守りたい一心で、トシちゃんはあの会見に臨んだ。
当然、戦闘態勢で臨んだっていいはず。でもこの会見を見ると分かるけど、トシちゃんはちゃんと質問に答えている。
かなり抑えて我慢していたかもしれない。そこまでのことを思えば、不満をぶちまけたっていいはず。それでも真摯に受け答えしてくれているではないか。
寧ろ臨戦態勢はマスコミの方ではないだろうか。
記者会見を開いて当たり前なのに、ここまで開かずに待たせやがって。たかがアイドルのくせに…そんな声が聞こえてくるようだ。
当時は記者会見を開くのが当たり前だった時代だ。
元々プライベートなことは一線を画したいトシちゃんには、あまりそういうことをするつもりはなかったのかもしれないけど、だったら余計にこの会見を開いてくれたことは感謝すべき。だが、そんな風に思った記者はいなかったのだろう。
果たして、傲慢なのはどっちだろうか。
そして、例の発言のくだりにしても・・・
そもそも、会見全体を通してみると、別にこの発言、何でもない単なるジョークであり、普段ならみんなで笑って終わり・・・というくらいの発言なのだ。
当時のトシちゃんの普段の発言や言動も、こんな感じだった。ファンから見れば、いつもと変わらないトシちゃんだったわけだ。
そしてトシちゃん自身、自分のことを別にビッグとか特別とか思って言っているわけでもない。100歩譲って、彼がそう思っていたとしても、別にいいじゃん。だって事実だしと私は思うし、そもそも大物じゃないなら、なぜあんなに追いかけ回し、記者会見に詰めかけてんだよと思う訳である。
決してつかみかかって、「けしからん!傲慢だ!」と叩くような発言ではないのだ。
女子高生同士がファミレスでランチしていて、その中のひとりが、話の流れで、
「私ぐらい可愛いと、男性から何万回も告白されちゃって、もう大変なのよね~」みたいなことを言ったとする。
そこに、話を聞いていた人が「自分で可愛いとかいってんじゃないよ!傲慢!ブスのくせに、偉そうに言うな!!」と烈火のごとく怒り狂う。
おまけに、「この女、自分のこと可愛いとか言ってて、許せない!みんなで叩いてやろう!」と扇動して、周囲もそれに同調する・・・・・
あまり良い例えじゃないかもしれないけど、あの時起こっていた違和感満載のバッシングはこんな感じだった。
明らかにジョークで済む話が、訳が分からないまま、なぜこんなことで責められないといけないかと思っているうちに、物事がどんどんエスカレートしていった感じ。
そんなに怒ること?何をみんなムキになってバッシングしてるわけ?
ファンじゃなくてもこう思った人も絶対いると思う。今ならネットでそう書き込める。だけど当時はそのツールはまだなかった。
一方、週刊誌、テレビのワイドショー、スポーツ紙の芸能面、こぞって本当に酷い書かれようだった。そして、そこからしばらくの間、総力を挙げてのネガティブキャンペーンが繰り広げられた。
数年前まで好きな男として国民的人気を誇っていたトシちゃんが、まるで罪を犯したかのように悪者にされ、傲慢、生意気、実力もないくせに、何様のつもりかとやられたのだから、ひとたまりもない。
今のようにネットもない時代で、情報は一方的で悪意の塊。
テレビであの人がこう言っていたから、週刊誌にこう書いてあったから・・・自分の頭で考える能力がないテレビのワイドショーばかり見て過ごしてる主婦層は簡単に洗脳された。
嫉妬深い男たちは、それまで女性人気絶頂のポジションにいた男を引きずり落ろし、罵詈雑言を浴びせる快感に酔いしれていた。
あのときのことは、許しがたい人権侵害だと思っているが、そのことを述べ始めると私が興奮して止まらなくなるから今日のところはやめておく。
ただ当時、誰が何と言っていたか、私は死ぬまで忘れないだろう。そして、絶対に許さない。
嬉々としてトシちゃんを叩きまくっていた芸能記者、お前のことは一生恨み続けてやると思っていることは記しておく。
こうしてトシちゃんの姿をテレビで見る機会は激減していくことになる。実に理不尽だが、実際に四半世紀前に起こったことだ。
当時、トシちゃんはどんなに苦しかっただろう、悔しかっただろうと思って心を痛めていた。
親友の三浦知良さんや野村宏伸さんがトシちゃんの自宅に駆けつけていたのも知っている。そういう人たちとの語らいが少しでも心を癒してくれていたのだろうか。
何よりも温かい家庭と、変わらないファンへの想いがあの時のトシちゃんの救いであり、倒れてたまるか、潰されてたまるかと前を向く力を与えていたのだと思う。
昨年末だろうか。生まれたばかりの我が子を大切に抱いているトシちゃんの写真を、お嬢さんのインスタグラムで見ることができた。
その時のトシちゃんの表情が忘れられない。
愛しさが溢れているその優しい表情を見て、お父さんとしてのトシちゃんはこんな顔するんだなあ、ああ、トシちゃん、幸せな時間過ごしていたんだなあと心から嬉しくなって、涙が出そうになったものだ。
あの当時、激しいバッシングに対し、決して心を痛めなかったわけではないと思うし、実際、仕事は激減しただろうし、ライブ会場は一回りも二回りも小さくなり、お客さんの入りも芳しくなかっただろう。
それでも、自分の選択を後悔したことはないと胸を張って即答できるトシちゃんを私は心から尊敬するし、自由とそれに付随する責任もしっかり果たし、奥様と一緒に立派にお子さまを育て上げたことは実に素晴らしい事だと思う。
自分の選んだ道を諦めずに立ち止まらずに、まっすぐ歩んで来てくれて、どんな時も田原俊彦としていてくれたことには、ファンとして感謝しかない。
この件については、事務所独立の時期も相まって、後ろ盾がなくなったから、叩きのめしてやろうと一部の芸能レポーターなどは思ったのかもしれないし、テレビ局もトシちゃんを叩くことが事務所に喜ばれるのではと忖度があったのかもしれない。
いずれにしても、事務所独立と無関係ではないことは確かだ。
マスコミがやったことは許せないし、許さない。でも、あの時、一緒になってトシちゃんを嘲笑し、酷い言葉を浴びせた一般人も同罪。
そして、あれから四半世紀経ったのに、いまだに「俺はビッグ」といったから干されたのだ、自業自得だなどと言っている人たち・・・
だいたい、俺はビッグって言ってないから、まずはちゃんと記者会見見て認識を改めていただきたいものだ。いつまでもそう言うことを言っていいと思っているような人が傲慢で浅はかで勘違いなのだ。それでも言い続けるのなら、どうぞご自由にと申し上げておきたい。
ただ、これだけは言いたい。
トシちゃんに起こったことを、事務所から独立したんだからこういう目にあっても当然と問題視しなかったことは、何年も後の後輩グループの解散、独立の時にも大きな影を落としていることをわすれてはいけないと思っている。バッシングされて当然の人などいない。事務所をやめることは犯罪ではない。
事務所に残ることが正義で出ていくことが裏切りという構図もいい加減やめたらどうだろうか。
自分の人生を自由に選択する権利は誰にでもある。一定の年齢に達したなら、そのうちの選択肢の一つとして独立もあってもいいはずだ。
トシちゃんは強い人だ。だから、彼は逃げずに立ち向かい、闘い続け、今がある。
別の言い方をすれば、あれだけ総力を挙げて激しくバッシングしてテレビから干されたにもかかわらず、潰されず自分の道を極め続けられ、昨年40周年を華々しく迎えられた。
でもこれは誰でも同じようにできることではない。もしかしたら、激しいバッシングで心を病んでしまう人もいるだろうし、命まで奪ってしまうことに繋がるかもしれない。
今更こんなことを掘り起こしても仕方ないのかもしれないが、一般人の誹謗中傷はもちろん問題だが、マスコミが行って来た悪意ある編集や偏向報道も、大きな問題であり、その責任を誰も取らないまま今に至っていることに、私は怒りを感じているのである。
こうして、意見を発信できるツールを持つことが出来た今、私は私なりにこれからも間違っていることは訴えていくつもりだ。それは次の世代のために、理不尽がまかり通った時代を経験してきた私の責任でもあると思っている。
インストアLIVEのあの光景はもう見られないのか
Twitterを覗いていたら衝撃的な写真を見つけてしまった。
これがソーシャルディスタンスを保って開催された場合のLIVE会場らしい。スカスカではないか!
赤字にしかならないではないか。
当然キャーキャーワーワーもしちゃいけないとか、マスクしろとかいうことも追加になるのだろうが、これでは拷問だ。
トシちゃんがステージに出てきたら、条件反射で叫んでしまうにきまっている。
LIVE活動は一体どうなってしまうのだろうか。
もう気にしても考えてもどうしようもないんだけど、そう思えば思うほどやりきれなくなってくる。
トシちゃんLIVEが観たいんだ!私は!
毎年夏の終わりから始まるトシちゃんのLIVEを見に行くことで、日ごろの溜まりに溜まったストレスを発散して、来年もここにトシちゃんに会いに来るために頑張ろうと思う・・・これはもう儀式なのだ。生きていくための儀式。
他人のことは知らないけど、私にとってはそうなのだ。
1980年6月に哀愁でいとでデビューしたトシちゃんだが 同じ年の12月にはたのきんでユニットを組んでいた近藤マサヒコがデビューする。
彼がいたことで、トシちゃんはいろいろな面で、いろいろな思いをしたことがあったと思うが・・・(ちょっと何言ってるか分かんないっていう人もいるだろうけど、スルーしてください)周年というのもその一つ。
本来なら10周年は1980年の10年後となるところだけど、トシちゃんの10周年は1989年なのだ。
1990年に10周年を迎える人が他にいたため、1年早く周年を数えさせられた。
ちなみにトシちゃんの同期と言えば、言わずと知れた松田聖子であるが、彼女はそういう譲らされる存在がなかったためか、普通に今年が40周年である。
トシちゃんが昨年2019年が40周年だったのにはこういう事情があったのだが、昨年40周年を迎えられたことが、幸いする。
今年だったら、周年を祝うイベントを開催できなかったかもしれない。
そういう意味で、昨年、NHKホールLIVEも、気志團万博への出演も無事にできたことを心から良かったと思うのだ。
その気志團万博の映像をWOWWOWで放送されたのを見たが、凄かった。
あれが密じゃなくて、何が密なのかというくらいだが、今から思うとあの光景は憧れ以外の何ものでもない。あの日、トシちゃんのステージを見るために、老若男女何万人という人があの会場にいた。
途中で「後ろ~!!!」とトシちゃんが遥か彼方にいる観客に手を振っていたが、会場からに映し出されたモニターを見ていたのであろう観客からあまりの人の多さにどよめきが起きていたほどだ。
擦り切れるくらいあの映像を見て、鳥肌がゾワゾワ立った。
あの大観衆から地鳴りのような大声援を浴びて、トシちゃんはものすごくいい表情をしていた。
この人には大きなステージがやっぱり良く似合うと思った。
だが、トシちゃんにとっては、ステージの大きさなんてどうでもいいのだろう。
何故なら、ショッピングモールで行われたインストアLIVEでも彼は気志團万博と全く同じように一切力を抜かず、汗びっしょりで歌い踊り、四方八方に手を振り、笑顔を振りまいていた。見に来た人の表情は気志團万博も中野サンプラザもショッピングモールも変わらない。みんなを幸せな笑顔にしてしまう。
本物はステージを選ばないのだと、この人を見ていると思う。
話がインストアLIVEのことになったので、今日はその話を書こうかと思う。
トシちゃんは事務所独立後も毎年シングルを出している。あまり知られていないことかもしれないが、ずっと途切れずにどんな時も継続している。
不遇の時代も腐らずシングルを出し続け、会場が小さくなってもLIVEを欠かさずやる。これを頂点を極めた大スター田原俊彦はやってきた。
トシちゃんのシングルがコンスタントにオリコン30位以内に入ってくるようになったのはここ何年かのことだ。
インディーズ時代も経験したトシちゃんが、メジャーレーベルであるユニバーサルに移籍したのは2017年。
この頃になると、オリコンダウンロードでは1位となり、デイリーランキングでトップテン入りするようになる。
なかなか描けないV字回復である。
しかし、そのデイリーランキングTOP10入りに大きく貢献していたのがこのインストアLIVEでのCD販売だったと思う。
インストアLIVEでの販売会場でCDを購入すると握手券がついてくる。
ここ数年、東京のリリースパーティーはもちろんのこと、私も何か所かの地方のインストアLIVEへ足を運んでいる。
この映像がどこかにあったと思うが、探すのが面倒なので貼るのはやめておくが、まあ物凄い人だった。
動画でも上がっているから様子は分かるかもしれないが。
場所によってはあまりに人が多くエスカレーターが危険回避のため、停止になっていた。
吹き抜けの会場の3階まで、これでもかというくらい人で溢れていた。
トシちゃんが近くのイオンモールに来る!ということを知って、わざわざ来た人もいたし、通りすがりの人もいた。もちろん、会場にかけつけたファンも大勢いた。
トシちゃんがショッピングモールで営業なんて落ちぶれたものだ・・・・などということを言う人もいる。
ドームやアリーナでライブをすることが凄い事だなどとは全く思ってない。最近はデビューしたての何の実績もない人たちが大きな事務所に属しているからということで、簡単に大きな箱でコンサートやったりしているみたいだけど、それって凄い事でも何でもないと思っている。
だけど、私も最初はなぜ、ショッピングモール???トシちゃんだよ・・・と思ったものだ。
何も知らないなんと浅はかな考えだったか、私は後で思い知らされることになるのだが。
インストアLIVEというのは、新曲などをリリースした際にプロモーションのために行うもの。当たり前だけど、ショッピングモールなどのオープンなスペースはファンはもちろん集まるだろうが、固定のファン以外のどれだけの人の足を止めることが出来るかというある意味、ものすごくシビアなイベントである。
昭和のアイドルはデパートの屋上とかでこういうイベントをやって握手会とかやっていたし、池袋のサンシャインの噴水広場とかでは誰かしらが今も、やっていることではあるが、大物になればなるほどなかなかやってくれないことだと思う。
これ、ネームバリューがあればあるほど、かなりの自信がないと出来ないことだ。
理由は言わなくとも分かると思うが。
私はこういい仕事についているわけではないので、あくまで想像だけど、間違いなく自分のファンがお金払って見に来るLIVEの方がどれだけ気持ち的に楽かと思う。
ファン以外に足を運ばせること、足を止めさせることが出来るということは凄い事だと思うのだ。
それでも・・・である。なぜ、トシちゃんがこんなところで握手会なんてするんだという考えがなかなか拭えないでいた。
それが、ある日、ああ、こういうことか・・・と分かった。
その瞬間、私は固定観念に縛られ、こういう場所でイベントすることへの偏見とか思いこみがあったことを心から恥ずかしく思った。
それは35周年のエムオンLIVEの時、放送の合間に流れていたインタビュー。
ファンとの関わり方に違いは?という質問について、トシちゃんは次のように答えていた
皆さんも年齢重ねるわけで、自分の人生あるわけですが、その中で時間作ってお金使って、僕に会いに来てくれてステージ見てくれてまた明日からの元気になるって思ってくれる・・・そういう人たちって47都道府県全国津々浦々、たくさんいるんですよ。
たまに来る手紙で、いまだにファンクラブに初めて手紙出しましたという人もいて、実際問題として自分の生活があって、なかなかトシちゃんのコンサートに足を運べないっていう人もいる。だから、僕が頑張って、僕がみんなのところに足を運んで「来たよ!」って言えるような田原俊彦になれるように力つけていかないといけない。
ずっと継続してライブをやってくる中、東名阪の3か所のみのLIVEという年も続いた。
地方でライブをできるには、力がないといけないことをこの人は身をもって知っていたのだ。
トシちゃんの主なファンの年齢層である40~60代、この頃は、自分の仕事、親の介護、自分の病気とか、本当に様々な問題を抱えて家を離れることが出来ない人が多い。
集客は都会が間違いなくできる。だけど、都会でしかライブをできないということは、地方に住む人で都会に泊りがけで来ないといけない人にとっては諦めないといけなくなってしまう。
ローカルでステージを見てもらえる場所をできるだけ多く作る・・・・地方でのLIVE会場ももちろんそうだけど、インストアLIVEだってやる。
そこなら来られる人がいるかもしれないから。
そのために、地方でもステージをできる力を付けたい・・・・そうこの人は言っていたのだ。
ショッピングモールであろうと、どこであろうと、関係ない。自分に会いに来てくれる人が一人でもいたら、そこはステージであり、自分の全てを魅せる場所。
インディーズからレーベルがメジャーのユニバーサルになっても、トシちゃんはこのインストアLIVEをやめようとしなかった。
トシちゃんがどんな会場であろうと、手を抜かず、目の前の人を魅せることに徹している姿の根底に、こんな想いがあったことを知り、ショッピングモールでなんてと一瞬でも思って自分が恥ずかしくなった。
人が年々増えていくのをこの目で見て来た。
ライブ会場も完売、完売、完売となっていく推移を目頭が熱くなる思いで見ていた。
何度も言うが、こんなことをデビューから40年経って、成し遂げる人は他にはいないと思うのだ。
今年のリリースイベントは開催は難しいと思う。
6月に予定されていた豊洲のリリースパーティーは開催見合わせと発表された。
CDの発売自体が8月に延期となった。
何月になってもあれだけの密を作り出すインストアLIVEは開催されることはないと思う。
これから先、あのイベントがあるのかどうかは今のところ分からないけど、間違いなくトシちゃんのV字回復を支えたあのインストアLIVEの熱いエネルギーを私は忘れることはないと思う。
インストアLIVEのあの光景はもう二度と見られないのだろうか。
これは見るべし!田原俊彦公式YoutubeチャンネルにLIVE映像UP!
6月リリース予定の田原俊彦新曲、「愛は愛で愛だ」の発売が8月に延期された。
配信は予定通り6月17日からあるようだから、曲はダウンロードして聴くことができるそうだが。
6月21日に予定されていた豊洲のリリースパーティーも見合わせと発表された。
まあ、このご時世だから覚悟はしていたが、実際発表されるとやっぱり寂しくなる。
そんなどんよりとした気分が、ある情報で一転した。
田原俊彦公式のYoutubeチャンネルに2017年LIVE映像がアップされたのだ!
【Official Live Video】「'17夏シングルメドレー」TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE 'T' TOUR 2017@中野サンプラザホール
【Official Live Video】「ごめんよ涙」TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE 'T' TOUR 2017@中野サンプラザホール
【Official Live Video】「抱きしめてTONIGHT」TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE 'T' TOUR 2017@中野サンプラザホール
このブログを事務所の関係者の方が読んでくれたのか? …なんて一瞬だけ心の中でガッツポーズした。
そんなわけ、ないだろうが自己満だからいいのだ!
とにかく良かった。
独立後のPVばかりじゃ、私のような熱狂的ファンにはたまらないが、そりゃ世間一般の人は見にこないって。
抱きトゥナにごめんよ涙にシングルメドレー…今回の曲のチョイスもベタでいいと思う。
以前、トシちゃんファンだったけど離れてしまった人には、ぜひ見て欲しい。
今は別の人を応援しているのかもしれないが、かつての自分が夢中になって恋い焦がれた王子様は、今も現在進行形で、ステージから夢を与え続けてくれている。もう何年も彼を見ていなくて、記憶の彼方に追いやっていたとしても、一瞬であの頃に引き戻してくれる魅力がある。
この人がここまで頑張ってきてくれていることに、じ~んとするはず。
今、韓流だの、若いジャニーズタレントだのと目移りされた方の中には、エンタメに興味を持つ入り口は田原俊彦だったという人は多いはず。イマドキの流行ものでは味わえない気迫と大人の魅力を堪能してもらえるだろう。そして、この人を好きだった自分の男性を見る目の確かさを改めて感じてもらいたい。
そして、田原俊彦に全く興味ももったことがないという、そこのアナタ!食わず嫌いで人生、大損してるなんて勿体ない。
騙されたと思って一度上の動画を見ていただきたい。
イマドキ、歌って踊って、トシちゃんより歌も踊りも上手い人は他にもいるのかもしれないけど、彼らには絶対与えられないものをトシちゃんは与えてくれる。もう戻れないあの頃に、トシちゃんは時計の針を巻き戻して連れて行ってくれる。
あの頃と同じようにスケボー乗って登場して、あの頃と同じように激しくダンスしながら歌って踊っているトシちゃんを見ると、思わず見入ってしまうはずだ。
年齢を重ね、年々若い時と同じように動くことの困難さを身にしみてわかっている我々世代は、彼がこれだけのステージを魅せるためにどれだけの努力を重ねていることだろうと思いを馳せることが出来る。
とにかくファン以外の人にも絶対におススメ。今の田原俊彦の凄さに驚愕してもらえればと思う。
今回は、2017年のライブからのアップだが、他にもいい歌が沢山ある。今の田原俊彦の素晴らしさが伝わる映像をもっと見せてもらいたいと思うし、もっと欲を言うと、ぜひNHKホールLIVEの映像からのピックアップもお願いしたい。
2017年時点で、このライブが間違いなくベストだった。
でも今、映像として残る中で最新の2019年LIVEが自分の中ではベストだ。
これが実は凄いことだと分かってもらえるだろうか。
2017年LIVEももちろん素晴らしいのだ。でもトシちゃんが凄いのはベストと思ったライブを翌年、更に超えてくること。ベストを超えて最新のライブが1番いいと思わせることができるエンターテイナーが田原俊彦なのだ。
だから田原俊彦ライブは素晴らしいと力説しているし、自信を持ってオススメできる。
ところで、このチャンネルの登録者数だが、なぜこんなに少ないのだろうか?
田原俊彦ファンは年齢的に確かに若くはないかもしれないが、いまどき年代関係なくYoutubeくらい見るだろう。
にもかかわらず、なぜ?
公式チャンネルの存在を知らないのだろうか。
チャンネル登録することは、全く難しいことではないので、登録くらいしてもらいたいものだ。
登録者数を見るたび、怒りにも似た思いが湧き上がる。
お金を取られる訳でもないのに、なぜ、みんな登録しないんだって。
こういう数字は大事にした方がいいし、気にするべきなのだ。
そして、みんなで協力して、SNSでどんどん拡散して、1人でも多くの人に見てもらうきっかけを提供してもらいたい。
田原俊彦LIVE映像を見るきっかけを与えることは、ハッキリ申し上げて社会貢献以外の何物でもない。
こんな世の中で、これほど元気と笑顔と明日へのパワーと希望をくれる存在が他にいるだろうか?
とにかく今回、ライブ映像のUPをしてくれたことに感謝を伝えたい。
再生回数を伸ばすために私はDVDではなく、動画を見ると心に決めた。
トシちゃんのここまでの道のりは順風満帆で安泰とは言い難いけど、荒波超えてきた男だけが立てるステージに間違いなく立っている人だと思う。
そこは、あのままジャニーズ事務所にいたら、決してたどり着けない場所だったかもしれない。
そういう人が、追求し続けた、命懸けのステージだからこそ、胸を打たれるし、目頭がいつの間にか熱くなる。
ずっと陽のあたる場所にいたわけじゃないからこそ、人としての魅力を増して、自分も頑張ろうという思いをステージを観た人に抱かせることが出来るのではないだろうか。
口パクしないこと、 イヤモニしないこと、プロンプター使わないこと…
何も知らない人ほど、それがどうした?などと容易に言うものだが、これは本当にすごいことなのだ。
プロフェッショナルとは何か、数々の生放送の場数を踏み、偉大な大先輩からしっかりと大切なものを吸収してきたトシちゃんのスタイルをマネできる人はいない。田原俊彦は間違いなく、歌って踊るというスタイルを日本にここまで根付かせることに多大な貢献をした第一人者なのである。
トシちゃんは何でもサラっとやっていまうから、その凄さが分からない人が多いのかもしれないが、もっともっと、もっと評価されないといけない人。
まだまだここから。奇跡のような田原俊彦の快進撃を私は是非とも見届けたいと思っている。